【トーラス・ライフの経営哲学】7/11更新 BLOG 2025年7月11日 / 【トーラス・ライフの経営哲学】7/11更新 はコメントを受け付けていません 第2回:暴力のエネルギー──肉食のカルマを見つめる 🍖 リード わたしたちは、もはや「血の味」を知らない。切り身になった肉は透明なパックに包まれ、何の痛みも感じさせないまま食卓に並ぶ。それでも、肉には“暴力”の記憶が宿っている。見えなくなった暴力性。それは、社会の無自覚な“前提”となり、日常の奥底で、私たちの思考や振る舞いに影響を及ぼしているかもしれない。今こそ、「皿の上に横たわるストーリー」を、正視しよう。 💉 1. 肉が運ぶアドレナリン 肉は、ただの「たんぱく質源」ではない。その背景には、動物の命を奪うプロセスがある。畜産現場では、動物は狭い空間に閉じ込められ、強いストレスと恐怖の中で育てられる。そして、屠殺の瞬間には**アドレナリンやコルチゾール(ストレスホルモン)**が体内に大量に分泌される。それは、肉の細胞に“情報”として残る。人間がそれを摂取すると、体内で炎症反応が起きやすくなる。慢性的な炎症は、メンタル面にも影響を与え、怒りっぽくなる/イライラする/攻撃的になるなどの変化を引き起こすことがある。つまり、肉を通じて、動物が受けた“暴力の波動”を、わたしたちも共有しているのかもしれない。 🏛️ 2. 搾取のピラミッド構造 「弱肉強食」は、自然界のルールとされる。しかし人間社会において、この言葉は暴力の正当化にも使われてきた。資本主義、労働構造、軍事、教育、男女関係……至るところで「勝者と敗者」「支配と被支配」の構図が繰り返される。この価値観の根底には、肉食を“当然”とする文化が横たわっている。強い者が弱い者を食うことは正義効率のために命をコントロールするのは仕方がない自然とは残酷なものだこうした思考は、日々のニュースや政治にも滲み出ている。**「たんぱく質神話」**もまた、その一端だ。 🧪 3. マーケティングが摺り込む“たんぱく質神話” 現代人にとって「肉=元気の源」は、もはや常識。だが、それは本当に“自然な栄養観”なのだろうか?食品業界によって作られた「高たんぱく=健康」のイメージは、時に野菜や穀物の栄養価を矮小化し、動物性食品の大量摂取を正当化する口実にもなっている。実際、多くの研究が「植物性中心の食事」の方が炎症・動脈硬化・認知症のリスクを下げると報告している。にもかかわらず、CMでは筋肉隆々の俳優がハンバーグを頬張り、「勝ちたきゃ肉を食え」と刷り込まれる。これは、“味覚”ではなく価値観の操作だ。 🕊️ 4. 非暴力という選択肢──ヴィーガンは魂の意思表示 ヴィーガンとは、単なる食生活ではない。それは非暴力の哲学的宣言であり、「誰も傷つけない世界を選びたい」という意志表明でもある。もちろん、すべての人がいきなり動物性ゼロになる必要はない。でも「週1のプラントベース」からでも、自分と世界の関係性を少し変えることはできる。そこには、自分の体を“純化”する感覚もある。そして、「暴力に加担しない」という選択が、心の深い部分に静かな安定をもたらす。 ✍️ まとめ & 行動提案 肉の味を覚えていても、その奥に潜む“暴力性”を意識することは少ない。でも、その見えない暴力こそが、社会のあらゆる場面で「支配」や「搾取」を正当化するロジックになっている。✅ 今日からできる2つのアクション:「いただきます」の前に、皿の上の物語を10秒想像してみる。今週中に、動物性食品ゼロの24時間を試してみる。 🎯 次回予告 第3回は【魂に残る傷──トラウマという内なる牢獄】。子どもの頃の傷、他人に言えない痛み──それは身体と心を密かに縛りつづける。傷と向き合い、解放へ向かう第一歩を探ります。※こちらでご紹介している内容は、トーラス・ライフとしての経験や見解をもとにまとめたものです。必ずしも一般論や科学的定説と一致するものではありませんので、ご自身での判断とご理解のうえお読みください。 最後までお読みいただきありがとうございます。より詳しい内容や、日々の気づき・考えを「note」にて発信しています。ぜひこちらもご覧ください →トーラス・ライフ 中の人