第2回:暴力のエネルギー──肉食のカルマを見つめる

🍖 リード

わたしたちは、もはや「血の味」を知らない。
切り身になった肉は透明なパックに包まれ、
何の痛みも感じさせないまま食卓に並ぶ。
それでも、肉には“暴力”の記憶が宿っている。

見えなくなった暴力性。
それは、社会の無自覚な“前提”となり、
日常の奥底で、私たちの思考や振る舞いに影響を及ぼしているかもしれない。

今こそ、「皿の上に横たわるストーリー」を、正視しよう。

💉 1. 肉が運ぶアドレナリン

肉は、ただの「たんぱく質源」ではない。
その背景には、動物の命を奪うプロセスがある。

畜産現場では、動物は狭い空間に閉じ込められ、
強いストレスと恐怖の中で育てられる。
そして、屠殺の瞬間には**アドレナリンやコルチゾール(ストレスホルモン)**が体内に大量に分泌される。

それは、肉の細胞に“情報”として残る。

人間がそれを摂取すると、体内で炎症反応が起きやすくなる
慢性的な炎症は、メンタル面にも影響を与え、
怒りっぽくなる/イライラする/攻撃的になるなどの変化を引き起こすことがある。

つまり、肉を通じて、
動物が受けた“暴力の波動”を、わたしたちも共有しているのかもしれない。

🏛️ 2. 搾取のピラミッド構造

「弱肉強食」は、自然界のルールとされる。
しかし人間社会において、この言葉は暴力の正当化にも使われてきた。

資本主義、労働構造、軍事、教育、男女関係……
至るところで「勝者と敗者」「支配と被支配」の構図が繰り返される。
この価値観の根底には、肉食を“当然”とする文化が横たわっている。

  • 強い者が弱い者を食うことは正義

  • 効率のために命をコントロールするのは仕方がない

  • 自然とは残酷なものだ

こうした思考は、日々のニュースや政治にも滲み出ている。
**「たんぱく質神話」**もまた、その一端だ。

🧪 3. マーケティングが摺り込む“たんぱく質神話”

現代人にとって「肉=元気の源」は、もはや常識。
だが、それは本当に“自然な栄養観”なのだろうか?

食品業界によって作られた「高たんぱく=健康」のイメージは、
時に野菜や穀物の栄養価を矮小化し、
動物性食品の大量摂取を正当化する口実にもなっている。

実際、多くの研究が「植物性中心の食事」の方が
炎症・動脈硬化・認知症のリスクを下げると報告している。

にもかかわらず、
CMでは筋肉隆々の俳優がハンバーグを頬張り、
「勝ちたきゃ肉を食え」と刷り込まれる。

これは、“味覚”ではなく価値観の操作だ。

🕊️ 4. 非暴力という選択肢──ヴィーガンは魂の意思表示

ヴィーガンとは、単なる食生活ではない。
それは非暴力の哲学的宣言であり、
「誰も傷つけない世界を選びたい」という意志表明でもある。

もちろん、すべての人がいきなり動物性ゼロになる必要はない。
でも「週1のプラントベース」からでも、
自分と世界の関係性を少し変えることはできる。

そこには、自分の体を“純化”する感覚もある。
そして、「暴力に加担しない」という選択が、
心の深い部分に静かな安定をもたらす

✍️ まとめ & 行動提案

肉の味を覚えていても、
その奥に潜む“暴力性”を意識することは少ない。

でも、その見えない暴力こそが、
社会のあらゆる場面で「支配」や「搾取」を正当化するロジックになっている。

✅ 今日からできる2つのアクション:

  1. 「いただきます」の前に、皿の上の物語を10秒想像してみる。

  2. 今週中に、動物性食品ゼロの24時間を試してみる。

🎯 次回予告

第3回は【魂に残る傷──トラウマという内なる牢獄】。
子どもの頃の傷、他人に言えない痛み──それは身体と心を密かに縛りつづける。
傷と向き合い、解放へ向かう第一歩を探ります。

※こちらでご紹介している内容は、トーラス・ライフとしての経験や見解をもとにまとめたものです。必ずしも一般論や科学的定説と一致するものではありませんので、ご自身での判断とご理解のうえお読みください。

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