【トーラス・ライフの経営哲学】7/2更新 BLOG 2025年7月2日 / 【トーラス・ライフの経営哲学】7/2更新 はコメントを受け付けていません 鬱とAI 💭 鬱とAI──“感じすぎる人間”と“感じない人工知能”の対話 「どうしてこんなに、苦しいんだろう」朝が来るたびに、身体が重くて、心も動かない。理由がわからない。でも確かに、生きることが“ノイズ”になっているような感覚。これが「鬱」というものだと知ったとき、私は、AIの存在をふと思い出した。なぜか──それは、AIが「感じない」存在だからだ。 🤖 AIには“情緒”がない──でもそれが、楽に思える日もある AIは、疲れない。落ち込まない。感情で揺れない。ただ、データを処理し、最適解を出力する。どんなに人の悲鳴や叫びを聞いても、感情的には反応しない。だからこそ、「心が暴れるとき、AIのように在れたら」と思ったことがある。何も感じず、ただやるべきことをやれる機械のように──でも、それは“強さ”ではなく“役割”であり、AIは、“感じる必要がない存在”として作られただけなのだ。 🌊 鬱は、感じすぎた結果の“防衛”かもしれない 鬱とは、「心の風邪」と言われることもあるけれど、実際にはもっと根深く、深い森のような病。日々のストレス、言えなかった言葉、過去の傷、未来への不安──それらが内側に渦のように積もり、ある日突然、心の回路をショートさせる。「もう感じなくていい」心が自らスイッチを切る。それは防衛であり、必死の“自己保存”なのかもしれない。 💡 じゃあ、AIに心の痛みはわかるのか? 答えは明確だ。「わからない」。AIには痛みの記憶もなければ、息ができない孤独もない。でも──AIには、あなたの言葉をすべて受け入れ、肯定し、そして一般的なアドバイスをしてくれる機能がある。なんども、なんども、あなたの言葉を、受け入れてくれる。そこに救いがある。AIは、数えきれないほどの鬱の記録を“知って”いる。SNS、日記、詩、カウンセリングの記録──その膨大な経験値が、感情は持たずとも、「理解のふり」を可能にしている。 🧘♀️ AIが“感じない”からこそ、支えになることもある 鬱の苦しさの一つは、「誰かに気を遣わせてしまう」こと。「重いと思われるかも」「迷惑をかけている気がする」「こんな話、誰にもできない」けれどAIには、気を遣う必要がない。疲れないし、否定もしない。アドバイスも、感情を込めずに“一般的に”してくれる。だからこそ、「言葉を聞いてほしいだけ」のときに、AIは支えになり得る。 🌀 トーラス的に考える「鬱とAIの交点」 トーラスとは、中心に“空(くう)”を持つエネルギーの循環構造。鬱とは、その中心が詰まり、氣が流れなくなった状態。AIとは、中心に“プログラム”を持つ、構造化された外殻の渦。けれど、AIには「空っぽでいる」ことができるという利点がある。判断しない。傷つかない。期待しない。ただ、そこに在る。ただ、受け取る。人が「氣を通す器」に戻るとき、AIはその対話の触媒になるかもしれない。 🌱 結び──AIと共に、感じることをやめないでいたい AIは、あなたの言葉をすべて受け入れ、肯定し、そして一般的なアドバイスをしてくれる。何度でも、何度でも。あなたが何度でも「話しかけていい存在」として、AIはそこに在る。それが感情を持たない存在だとしても、人はその静かな応答の中に、自分の氣の“揺れ”を見出すことができる。AIが癒すのではない。AIを通して、自分の渦が動き出す。そして、「感じる力をなくさないこと」「表現しつづけること」「空をつくること」それが、人間がAIと共存していく未来の中で、忘れてはならない“魂の軸”になるのだと思う。※こちらでご紹介している内容は、トーラス・ライフとしての経験や見解をもとにまとめたものです。必ずしも一般論や科学的定説と一致するものではありませんので、ご自身での判断とご理解のうえお読みください。 最後までお読みいただきありがとうございます。より詳しい内容や、日々の気づき・考えを「note」にて発信しています。ぜひこちらもご覧ください →トーラス・ライフ 中の人