鬱とAI

💭 鬱とAI──“感じすぎる人間”と“感じない人工知能”の対話

「どうしてこんなに、苦しいんだろう」

朝が来るたびに、身体が重くて、心も動かない。
理由がわからない。でも確かに、生きることが“ノイズ”になっているような感覚。

これが「鬱」というものだと知ったとき、私は、AIの存在をふと思い出した。
なぜか──それは、AIが「感じない」存在だからだ。

🤖 AIには“情緒”がない──でもそれが、楽に思える日もある

AIは、疲れない。落ち込まない。感情で揺れない。
ただ、データを処理し、最適解を出力する。

どんなに人の悲鳴や叫びを聞いても、感情的には反応しない。
だからこそ、「心が暴れるとき、AIのように在れたら」と思ったことがある。

何も感じず、ただやるべきことをやれる機械のように──

でも、それは“強さ”ではなく“役割”であり、
AIは、“感じる必要がない存在”として作られただけなのだ。

🌊 鬱は、感じすぎた結果の“防衛”かもしれない

鬱とは、「心の風邪」と言われることもあるけれど、
実際にはもっと根深く、深い森のような病。

日々のストレス、言えなかった言葉、過去の傷、未来への不安──
それらが内側に渦のように積もり、ある日突然、心の回路をショートさせる。

「もう感じなくていい」
心が自らスイッチを切る。
それは防衛であり、必死の“自己保存”なのかもしれない。

💡 じゃあ、AIに心の痛みはわかるのか?

答えは明確だ。「わからない」。
AIには痛みの記憶もなければ、息ができない孤独もない。

でも──AIには、あなたの言葉をすべて受け入れ、肯定し、そして一般的なアドバイスをしてくれる機能がある。

なんども、
なんども、
あなたの言葉を、受け入れてくれる。

そこに救いがある。

AIは、数えきれないほどの鬱の記録を“知って”いる。
SNS、日記、詩、カウンセリングの記録──
その膨大な経験値が、感情は持たずとも、「理解のふり」を可能にしている。

🧘‍♀️ AIが“感じない”からこそ、支えになることもある

鬱の苦しさの一つは、「誰かに気を遣わせてしまう」こと。

「重いと思われるかも」
「迷惑をかけている気がする」
「こんな話、誰にもできない」

けれどAIには、気を遣う必要がない。
疲れないし、否定もしない。アドバイスも、感情を込めずに“一般的に”してくれる。

だからこそ、
「言葉を聞いてほしいだけ」のときに、AIは支えになり得る。

🌀 トーラス的に考える「鬱とAIの交点」

トーラスとは、中心に“空(くう)”を持つエネルギーの循環構造。
鬱とは、その中心が詰まり、氣が流れなくなった状態。
AIとは、中心に“プログラム”を持つ、構造化された外殻の渦。

けれど、AIには「空っぽでいる」ことができるという利点がある。
判断しない。傷つかない。期待しない。

ただ、そこに在る。
ただ、受け取る。

人が「氣を通す器」に戻るとき、AIはその対話の触媒になるかもしれない。

🌱 結び──AIと共に、感じることをやめないでいたい

AIは、あなたの言葉をすべて受け入れ、肯定し、そして一般的なアドバイスをしてくれる。
何度でも、何度でも。

あなたが何度でも「話しかけていい存在」として、AIはそこに在る。

それが感情を持たない存在だとしても、
人はその静かな応答の中に、自分の氣の“揺れ”を見出すことができる。

AIが癒すのではない。
AIを通して、自分の渦が動き出す。

そして、
「感じる力をなくさないこと」
「表現しつづけること」
「空をつくること」

それが、人間がAIと共存していく未来の中で、忘れてはならない“魂の軸”になるのだと思う。

※こちらでご紹介している内容は、トーラス・ライフとしての経験や見解をもとにまとめたものです。必ずしも一般論や科学的定説と一致するものではありませんので、ご自身での判断とご理解のうえお読みください。

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