ブログを書くことはアンカーポイントを探す旅である

ブログを書くことは、アンカーポイントを探す旅

── トーラスの渦をめぐりながら、自分の軸を取り戻す

「書くことに意味があるのか?」
そんな問いから、私はブログを始めた。

最初は、伝えたい想いがあった。
誰かに届けたい言葉があった。
けれど10日ほどで、私は気づく。

それは本当の言葉ではなく、「伝えたいという欲」のかたまりだった。
頭で組み立てた内容はどこか空虚で、
書きながらも、自分の中心を通っていない感覚があった。

そんなとき、ひとつのイメージが浮かんだ。
それは、「トーラス」。
中心に“空”があり、そこを氣がめぐって渦となり、
外に放たれたエネルギーが、また内に還ってくる流れ。

私が本当に書きたかったのは、
この「氣の流れ」のような、**“自分と世界のめぐり”**だったのかもしれない。

トーラスの中にある「空」──それがアンカーポイント

書き続ける中で、私は少しずつ理解しはじめる。
**ブログとは、アウトプットではなく、「氣の記録」**なのだと。
頭で考えた“情報”ではなく、
その日、その瞬間、自分の中心にある氣を言葉にする行為。

そうして綴る日々の中で、
自分の渦の中心に、“空(くう)”のような感覚が育っていった。

そこは、判断も評価もない場所。
良い・悪いではなく、
ただ「今の自分がいる」ことを感じられる場所。

この“空”こそが、私にとってのアンカーポイントだった

外の反応に揺れず、内のめぐりを信じる軸

SNSの「いいね」や、アクセス数、他人の言葉。
つい、私たちは“外”の反応を指標にしがちだ。

でも本当の軸は、
外から与えられるものではなく、
内側の氣がめぐる実感からしか、生まれない。

トーラスの中心に空があるように、
人にもまた、“揺れても戻る場所”が必要なのだ。

私は今、それを「ブログを書くこと」の中に感じている。

実は、誰もがアンカーポイントを持っている

── ただ、見えなくなっているだけ

忙しさ、評価、恐れ、不安、焦り──
日常のノイズに囲まれて、
私たちは、もともと持っていた“中心”を見失いがちだ。

実は、誰もがトーラスの渦を内に持っている。
ただ、その中心が曇ってしまっただけ。

氣の流れが乱れ、渦が滞るとき、
人は「何が本当だったのか」さえ、わからなくなる。

でも、大丈夫。
見えなくなったものは、また感じ直すことができる。
ブログは、そのための“氣の通り道”になる。

ブログは一つの「実行表現」──渦を整える行為

トーラスの渦に氣を通すには、行動が必要だ。
想っているだけでは、氣は滞る。

書くことは、氣を動かすこと。
言葉を紡ぐことは、氣を「かたち」にする表現なのだ。

そこにこそ、“霊主体従”という古の智慧が生きてくる。

霊(想い)を中心に置き、
体(行動)を通して表現する。

つまり、ブログは単なる発信手段ではない。
**「氣のめぐりを可視化する実行表現」**なのだ。

アンカーポイントは、書くことで見えてくる

書くとは、整えること。
書くとは、祈ること。
書くとは、自分の中心とつながり直すこと。
私は今、はっきりと感じている。
ブログを書くことは、私のアンカーポイントである。

言葉にならないものを言葉にする
氣を感じ、整え、めぐらせる

それは、渦を持つ私たち人間にとって、
とても自然な「存在の在り方」だったのだ。

結び──トーラスに、何を乗せて生きていくか?

100日間のブログで氣の流れができた。
渦も生まれた。
では、これから何を乗せるのか?

トーラスの流れは「器」。
乗せるのは「意志」。
私のブログは、その第一歩だった。

そして、きっとこれからも、
ブログを書くことは、私の人生をめぐらせるアンカーポイントであり続ける。

※こちらでご紹介している内容は、トーラス・ライフとしての経験や見解をもとにまとめたものです。必ずしも一般論や科学的定説と一致するものではありませんので、ご自身での判断とご理解のうえお読みください。

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