【トーラス・ライフの経営哲学】6/27更新 BLOG 2025年6月27日 / 【トーラス・ライフの経営哲学】6/27更新 はコメントを受け付けていません ブログを書くことはアンカーポイントを探す旅である ブログを書くことは、アンカーポイントを探す旅 ── トーラスの渦をめぐりながら、自分の軸を取り戻す「書くことに意味があるのか?」そんな問いから、私はブログを始めた。最初は、伝えたい想いがあった。誰かに届けたい言葉があった。けれど10日ほどで、私は気づく。それは本当の言葉ではなく、「伝えたいという欲」のかたまりだった。頭で組み立てた内容はどこか空虚で、書きながらも、自分の中心を通っていない感覚があった。そんなとき、ひとつのイメージが浮かんだ。それは、「トーラス」。中心に“空”があり、そこを氣がめぐって渦となり、外に放たれたエネルギーが、また内に還ってくる流れ。私が本当に書きたかったのは、この「氣の流れ」のような、**“自分と世界のめぐり”**だったのかもしれない。 トーラスの中にある「空」──それがアンカーポイント 書き続ける中で、私は少しずつ理解しはじめる。**ブログとは、アウトプットではなく、「氣の記録」**なのだと。頭で考えた“情報”ではなく、その日、その瞬間、自分の中心にある氣を言葉にする行為。そうして綴る日々の中で、自分の渦の中心に、“空(くう)”のような感覚が育っていった。そこは、判断も評価もない場所。良い・悪いではなく、ただ「今の自分がいる」ことを感じられる場所。この“空”こそが、私にとってのアンカーポイントだった 外の反応に揺れず、内のめぐりを信じる軸 SNSの「いいね」や、アクセス数、他人の言葉。つい、私たちは“外”の反応を指標にしがちだ。でも本当の軸は、外から与えられるものではなく、内側の氣がめぐる実感からしか、生まれない。トーラスの中心に空があるように、人にもまた、“揺れても戻る場所”が必要なのだ。私は今、それを「ブログを書くこと」の中に感じている。 実は、誰もがアンカーポイントを持っている ── ただ、見えなくなっているだけ忙しさ、評価、恐れ、不安、焦り──日常のノイズに囲まれて、私たちは、もともと持っていた“中心”を見失いがちだ。実は、誰もがトーラスの渦を内に持っている。ただ、その中心が曇ってしまっただけ。氣の流れが乱れ、渦が滞るとき、人は「何が本当だったのか」さえ、わからなくなる。でも、大丈夫。見えなくなったものは、また感じ直すことができる。ブログは、そのための“氣の通り道”になる。 ブログは一つの「実行表現」──渦を整える行為 トーラスの渦に氣を通すには、行動が必要だ。想っているだけでは、氣は滞る。書くことは、氣を動かすこと。言葉を紡ぐことは、氣を「かたち」にする表現なのだ。そこにこそ、“霊主体従”という古の智慧が生きてくる。霊(想い)を中心に置き、体(行動)を通して表現する。つまり、ブログは単なる発信手段ではない。**「氣のめぐりを可視化する実行表現」**なのだ。 アンカーポイントは、書くことで見えてくる 書くとは、整えること。書くとは、祈ること。書くとは、自分の中心とつながり直すこと。私は今、はっきりと感じている。ブログを書くことは、私のアンカーポイントである。言葉にならないものを言葉にする氣を感じ、整え、めぐらせるそれは、渦を持つ私たち人間にとって、とても自然な「存在の在り方」だったのだ。 結び──トーラスに、何を乗せて生きていくか? 100日間のブログで氣の流れができた。渦も生まれた。では、これから何を乗せるのか?トーラスの流れは「器」。乗せるのは「意志」。私のブログは、その第一歩だった。そして、きっとこれからも、ブログを書くことは、私の人生をめぐらせるアンカーポイントであり続ける。※こちらでご紹介している内容は、トーラス・ライフとしての経験や見解をもとにまとめたものです。必ずしも一般論や科学的定説と一致するものではありませんので、ご自身での判断とご理解のうえお読みください。 最後までお読みいただきありがとうございます。より詳しい内容や、日々の気づき・考えを「note」にて発信しています。ぜひこちらもご覧ください →トーラス・ライフ 中の人